Ritmo Tropical

Date : 2011年03月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私の家族について

blogの更新はしばらくお休みします。
1ヶ月くらいでまた更新するかもしれないし、しないかもしれません。

----------------------------------

今回の地震について、私なりに思うことがあるので、
うまく言葉にならないけれど、書いてみることにします。
地震について、というよりは私の家族についてです。
まだ頭が混乱しているので、まとまりがなく感情的な文章になるとを予め言っておきます。


私は福島県中通りの出身です。
実家は福島第一原発からは直線距離でちょうど40kmくらいのところにあります。
高校卒業と同時に地元を離れ、大学の4年間は茨城県水戸市に住んでいました。
私には4歳年上の姉がいて、結婚して今は千葉県の北東部に住んでいます。
私は就職を機に上京し、今は東京で働いています(住まいは神奈川ですが)。

3/11の地震、すごく怖かったです。
ただただ必死で非常階段を駆け下りた記憶しかありません。
地震の後、家族とはすぐに連絡が取れ、無事を確認することができました。

当日は電車が動かず会社で待機していましたが、
テレビ映し出される映像はまるで映画のような光景で、
どこかまだ他人事のように感じていました。
津波で流された街にもたくさんの人が住んでいて、それぞれの生活があっただろうに、
波はあまりにもすべてのものをさらっていってしまったが故に、
あの光景は自分がまったく知らない、どこか遠い地球の裏側で起きたような
出来事にしか思えませんでした。

そのまま電車の再開を待ち、朝方やっと家に帰りました。
次の日になって、東北各地や茨城にいる親戚や友人達と連絡を取ろうとしました。
けれど一向に電話は通じず、メールも返ってきません。
親戚や友人となんとか連絡がとれたのは、地震から2日後でした。
皆無事でした。ほっとしました。

けれど、地震直後の土日はまったく生きた気がしませんでした。
テレビで報道されている地名は私が小さい時から慣れ親しんだ場所ばかりだったし、
いくら家族が無事だったとはいえ、私が生まれ育った場所に住む人たちが苦しんでいる様子が、
到底他人事には思えなかったからです。

福島の人は本当に人情が厚くて世話好きで優しくて我慢強くて、
他人のために頑張ってしまうような人たちばかりなんです。
そんな人たちが、きっとなんの文句も言わず、じっと空腹と寒さに耐えているのかと思うと、
ただただ心が苦しくて仕方がありませんでした。

茨城の友人もライフラインが途絶えてしまっていたようですが、
被害が大きかった東北ばかりに報道の目が向いてしまい、
数日の間物資はなにも届かなかったそうです。

そういうことを知るにつけ、何不自由なく生活できている自分に罪悪感さえ感じてしまいます。

週があけて、月曜日になって、通勤ラッシュの鉄道各線は大混乱でした。
あぁ東京にも影響がでているんだな、って思いました。
それでも被災地の人に比べたらこんなことなんでもないと思いました。
自分がちょっとだけ我慢することで被災地の役に立つなら、
すすんで協力したいし、そうすべきだと感じました。

とは言えその日の帰り、24時間営業のスーパーは20時にはもう営業していませんでした。
ドンキに行っても、保存できる食べ物や懐中電灯、電池の類はもうありませんでした。
それでも、そんなことはなんでもないと思いました。
小さい子供や年配の方がいるおうちのほうがもっと大変だと思ったからです。
私は自分ひとりがちょっとだけ食べられればそれで良いし、
停電しても家でじっとしていれば良いだけです。
「大丈夫、大丈夫、もっと大変な人がたくさんいるんだから、こんなこと何でもない」
と自分に言い聞かせてなんとか過ごしていました。
何より、もう事態は収束し、これからは被災地の復興に目が向けられると思っていました。

けれど火曜日になっても、それまで報道されていた原発の状況はますます悪くなる一方でした。
私は家族に何の被害もなかったので安心しきっていましたが、いよいよ危機感を感じました。
冷静に考えてみればまだ実家は避難対象区域ではないし、
たとえ被爆したとしても直ちに人体に影響を与える数値ではないことは十分に理解できます。
それでも気持ちはついていかないものです。
万が一のことがあって家族になにかあったらどうしよう、そればかりが頭をよぎります。

私の父は公務員です。地元の市役所に勤めています。
火曜日の時点で実家のまわりの公共施設には、
原発の周辺からたくさんの人が避難してきていました。
父はその対応に追われています。
もし、私の地元が避難対象区域になったとしても父は最後まで避難できない立場にあります。
母はもし実家も避難対象になったら、同居している祖父母のみを親戚の家に避難させて、
自分は父と一緒に家に残るつもりだと言っていました。
毎日へとへとになって数時間しか帰宅できない父を残して、
自分だけが安全な場所へ避難することはできないと思ったようです。

そんな両親が心配で心配でなりませんでした。
お父さんとお母さんに何かあったらどうしよう。家族がばらばらになってしまったらどうしよう。
そんなことしか頭に思い浮かばず、もう仕事が手につきませんでした。
それでもなんとか自分を気丈に保とうとしました。こんなこと、なんでもないと思おうとしました。
一社会人として簡単に仕事を投げ出すべきではないはずです。

一番めぐまれた環境にある自分がしっかりしなくてはいけないと思いました。
私はいつも家族に助けられてばかりでしたが、
今回ばかりは自分は家族を支える立場にあると強く感じていました。

けれど聞こえてくるのは悪いニュースばかりです。
加えて東京の街が日常に戻りつつあるのが私にはたまりませんでした。
「停電なんてふざけるな」という声も聞こえてきます。
大変な思いをしている人たちがたくさんいるのに、
どうしてそんなことが言えるんだろうと思いました。
けれど、自分が暴論を言っていることは十分理解していました。
だから私には何も言えませんでした。
普通に生活できる人は普通に生活すべきだということはわかっているつもりでした。

私の中で、私が心配したところでどうにもならない、と思う気持ちと、
家族に何かあったらどうしようと思う矛盾するふたつの感情が交互に入れ替わって、
もうわけがわかりませんでした。
居ても立ってもいられなくなって姉に電話しました。

千葉にある姉夫婦の家も、地震から数日間は電気も水道も止まっていたそうです。
姉も不安な気持ちでいっぱいのはずなのに、
「絶対大丈夫だから、あんたは安心してやるべきことを淡々とこなしなさい。
それでも、どうしても不安ならおねえちゃんの家に来なさい。
うちはあんたひとりが来るくらいなんでもないんだから」って私を励ましてくれました。

私は自分が情けなかったです。
家族の中では自分が一番恵まれた状況にあって、かつ何も失ったわけではないのに、
自分ひとりでさえしっかりと生きられないなんて、
自分はなんて無力で情けないんだろうと思いました。

結局お休みを頂いて、姉夫婦の家にお世話になることにしました。
そうできたのも、会社の先輩方の優しい気持ちのおかげです。とてもありがたいことです。
姉夫婦の家で随分回復できました。テレビはもうあまり見ないことにしました。
不安な気持ちを誰かと共有することで、逆に前向きになれました。

両親には私の不安に思う気持ちは隠していたつもりでいましたが、姉の家にいることを伝えると
「本当は心細かったんだよね、何もしてあげられなくてごめんね」と謝られてしまいまいた。

就職して、自分は自立して一人前になったつもりでいましたが、
結局のところ家族にとって自分はまだまだ心配の対象なんだと思いました。
私は家族になにもしてあげられませんでした。助けられてばかりでした。
家族だけでなく、周りの人からも助けられてばかりです。
しっかり生きられない弱っちい自分がただただ情けないです。

これからも、きっと一番最後に生まれた自分は家族の心配の対象であり続けると思います。
それでも家族に心配されないように、少しずつおとなになれるように、強く生きようと思います。
まずは元気に働いている姿をみせてあげなくちゃ。

そしていつか自分にも子供ができたら、両親が私を育ててくれたように子供を育てたいです。

私は私の家族を誇りに思います。私にとって家族の存在はとても大きく、大切なものです。
それから自分はつくづく人に恵まれたと思っています。
いろんな人に支えられて、助けられて自分があると、改めて実感しました。
それはとってもありがたいものです。
今度は少なくとも心配されないように、しっかりしなければいけませんね。

この場をかりて、私を助けてくれた皆にお礼を言いたいです。
ありがとうございます。

----------------------------------------------------

それからこの地震で、私はますます故郷を思う気持ちが強くなりました。
高校生くらいまでは田舎が嫌で嫌で仕方が無かったですが、今は違います。
田舎があってよかったとつくづく思います。
不思議ですね、今でも地元に住んでいたらこんな風には思っていなかったでしょうね。

福島・茨城は原発のことで今後何年も風評被害に悩まされることでしょう。
それは、仕方が無いことです。
私が何かを叫んだところで何も変わりません。

それでも、私は私の故郷や私を育ててくれた街を応援したいです。
今は募金をすることくらいしかできないけれど、私は私にできることをさがします。

酪王乳業がんばれ。私は酪王牛乳が一番好き!帰省したら絶対買うよ。
アクアマリンふくしまがんばれ。亡くなった魚は残念だけど、きっときっとまた再開できるから。
福島も茨城も、宮城も岩手も青森も、千葉も北海道も、被災した地域皆がんばれっ!
報道に左右されることなく、強く、まっすぐ進んで下さい。

そういえば昨日はやたらと月明かりがきれいだと思ったら、
スーパームーンといって、19年ぶりに月と地球との距離が近い日だったらしいです。
もしかしたら、何か不思議な力が宿っているかもしれませんね。

この地震で被災された方々に一日でも早く希望の光が差しますように。
スポンサーサイト

Profile

flounder0112

Author:flounder0112
写真が好きです。
canon EOS kiss X2持ちです。
日々の写真は携帯で。
趣味はカメラとカフェ巡り。
甘いものが好きです。

UNIQLO calender

最新記事

カテゴリ

カレンダー

02 | 2011/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

FC2カウンター

月別アーカイブ

最新コメント

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR

starbucks

Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。